ヤヨイnikki

なかなか垢抜けないアラサーOLの雑記

健康について考える ―鉄欠乏性貧血

アラサーと健康のお話、今回は貧血についてです。 

 

どういう経緯でそうなったのかは忘れたが、中学生のときに鉄の薬を少しの間飲んでいた記憶があるので、昔から貧血になりやすかったのだろうとおもいます。

社会人になり、会社で健康診断を受けるたびにヘモグロビン値が低いことが記されるようになったのだけど、これは体質なのだと思いずっと放置していました。例により、昨年も健康診断で引っかかり、病院で再検査を受けるように促されました。

昨年は貧血を疑うような症状を時々感じることがあり、わたし自身健康に対する関心が高まっていたのもあって、ちょうど近所にオープンしたばかりの内科クリニックに通うようになりました。

 

改めて血液検査をした結果がこちら。

ヘモグロビン:9.2 フェリチン:1.9

これはもう食生活で改善できる値ではないと説明され、すぐに薬を処方されました。そしてフェリチンの値は、生理がある女性であれば50以上あるのが理想とのこと……。不妊や早産・流産のリスクも上がると言われており、海外ではこの値が低い女性は妊娠してはいけないとされている国もあるようです。この数値が上がってくれば、体が元気になったと自覚できるようになるでしょう、とのこと。

 

 

薬を飲み始めて数週間ですぐに体の変化を感じられるようになりました。前までは駅や会社の階段を少し昇るだけでゼーハーしており、これが年齢による体力の衰えなのか…とおもっていたのだけど、本当に息切れしない…鉄すごい。

 

女性は貧血になりやすいと言われているけれど、たかが貧血と侮らずに病院へ!と声を大にして言いたい。わたしも早く病院へ行かなかったことをほんとうに後悔しています。

 

そしてこの内科の先生が本当に穏やかで優しくて丁寧な方で、一生この先生に診てもらおうとおもうほどすっかり信頼しております。近所にかかりつけ医ができてうれしい。

健康について考える ―指の怪我

2021年は、これまで以上に健康を意識した1年にしよう!と心に決めています。今年だけでなく、今後もずっと意識していくために、健康を考えるきっかけになった出来事や今の健康状態についてを記録しておこうとおもう。

 

 

今回は左手薬指を怪我した話です。

 

 

目次 

 

 

この記事を書くにあたって

怪我をした当時、同じようなケガをされたひとのブログを探しては読ませていただいていました。なんだかんだで最終的には元通りの状態になったよー!っていう結末が書かれているブログは、当時のわたしにとって希望の光でした。わたしも怪我をした指の記録を残しておこうと、頻繁に写真に撮って保存していたので、今回ブログに残そうとおもった次第です。この記事が誰かの役に立つ日があればいいなあとおもいます。

 

 

 

怪我の概要

2019年のクリスマスイブに悲劇は起きました(ツイートには「クリスマス」と書いてますが、正確にはイブでした)。自分の不注意でめちゃめちゃに重い、しかもバタン!と勢いよく閉まるドアの蝶番側に左手薬指を挟みました。出血がすごく、痛いどころの騒ぎではありませんでした……。

怪我をしたのは夜だったので、救急外来に駆け込んで応急処置をしてもらい、ロキソニンを飲み、翌日整形外科へ。爪が生え際から脱臼していたため、麻酔をして縫合。骨折もしていました。

爪というのは、甘皮より少し下(関節側)にある爪母という場所で作られるとのこと。今回のケガはその爪母を損傷しているおそれがあるため、最悪爪自体が生えてこない可能性もあるし、少なくとも元通りの爪にはならないとおもってください、ということを言われました。これはなかなかのショックで、数日間はかなり落ち込みました。 

 

ちなみにこの日はクリスマスだったので、病院を出たその足で、包帯ぐるぐるで、前日お風呂に入れておらず髪の毛が若干ベタっとしてる状態のまま、予約していたクリスマスランチへと向かいました。

 

 

 

抜糸までの生活

抜糸するまでの2週間は入浴禁止(感染症にならないように)、患部は絶対に濡らさないように、シャワーは短時間で。と言われていました。左手はビニール袋を二重にしてゴムで留めて、右手だけでシャワーを浴びてました。

 

年末年始のお休みで温泉旅行に行くことになっていましたが、お部屋に大きなお風呂がついており、貸切風呂もある宿を予約していたので、周りの目を気にせずシャワーを浴びれて助かりました。しかし真冬に入浴ができないのはつらかったです。

 

怪我をしたのが利き手ではなくて良かったとおもうものの、手を洗うにしても、患部を濡らさないようにかばいながらではもう片方の手もよく洗えない。手がよく洗えないので、不衛生な気がして料理をする気にもなれない。薬指とはいえ、ものを握るときも力が入らない。雑巾が絞れない。かなり不自由な思いをしました。

 

 

 

その後の経過(※写真有り)

ここからは当時の写真が出てきます。苦手な方は注意を。怪我直後や抜糸前の写真はさすがにウッとなるので自重しています。

 

 

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▲2020/1/11

怪我から2週間経ち、抜糸をした翌日の様子。爪の隙間が黒いのは消毒液の色。脱臼した部分も固まり、出血もなく、入浴が解禁された。ようやく手が洗えるようになってうれしかった記憶がある。わたしの場合、爪は剥がれていなかったので、爪が骨折の添え木代わりになるとのことであった。

 

 

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▲2020/1/21

怪我から1か月弱。爪の下のほうの色が変わり死んでいるのがわかるようになる。普段は絆創膏を巻いて過ごしていた。

 

 

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▲2020/1/26

怪我から1か月が経過。下のほうから爪が浮いてきた。

 

 

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▲2021/2/25

怪我から2か月が経過。下から新しい爪が押し上げてきて、剥がれた爪を少しずつ切るようになる。爪が浮いている状態なので、なにかに引っ掛けないように注意していた。

 

 

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▲2020/4/4

古い爪が取れていき、ボコボコで薄かった新しい爪もツルツルの爪になってきた。

 

 

 

まとめ

新しい爪を切れるまでには怪我から半年近くかかりましたが、ちゃんと元通りの爪が生えました…!!他の指の爪と比べると爪の中の色が若干違うけど、よーく見なければわからない。そんなレベルです。

 

なにより健康が一番だということを痛感させてくれた出来事でした。

 

 

 

ブログとわたし

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はじめてブログをつくったのは中学1年生のときだった。覚えたての英語で飾った中二ちっくなタイトルをよく覚えている。それから何度かブログサービスを変えてきたが、ブログを通じて交流してきたひとたちとは、今もSNSでつながっていたりする。ラインで連絡をとっているひともいるし、年賀状のやりとりをしているひともいて、今のようにSNSで簡単にひととつながれる時代ではなかったはずなのに、10年以上もつながっているというのは不思議な縁だなあとおもう。

 

先日、高校生から大学生のころに書いていたブログの存在を思い出し、ログインに成功することができた。本や映画のレビューを書いていたこともあり、それらに関連する検索ワードから今もそこそこアクセス数があってぞっとしたので、アカウントは削除。しかし、せっかくなのでこのはてなブログに記事をインポートして、いくつかの記事を公開することにした。

大学受験に失敗し、付き合っていた彼氏にも振られ、バイトに明け暮れていたころのわたしだ。いろんなショックから立ち直れず、それはそれは苦しい毎日を過ごしていた。

 

月日は流れてあれから10年近くが経ち、あの頃消化できなかった感情からもすっかり解放されて、図々しさも覚え、ガハハと笑うアラサーになった。満たされたのかといえば、そうではない。悩み事も絶えない。ただすこし、大人になったのだろう。

いろんな感情を振り返ることができるのもブログのたのしいところだ。

 

なにより、誰かのブログを読むのがすきだ。だからわたしのブックマークには更新をたのしみにしているたくさんのブログが保存されている。もう何年も更新が止まっていたりするのを見るとかなしくなるので、みんなブログを書き続けてくれー!とおもう。

 

 

みんながだるそうにしかめっ面で歩くのを見て、じぶんもこんな顔してんのかなって思うぐらいのこと

  

週5でアルバイトはさすがにきつくて、先週はほとんど勉強ができなかった。そして今週はめちゃくちゃ寝てる。非常にまずい。暑い。眠い。日焼け止めを塗り忘れたせいでパンプスを履いたときに露出する足の甲が少し焼けた。それが気に食わない。素直になれないじぶんに、理想と現実とのギャップに追いつけないじぶんに、わがままばかりのじぶんに、そしてわたしをこういう状況にしている環境に、苛立ちを覚える。そんなことを考えながら歩いていると、足元が滑って転びそうになって停まっていた車に突撃した。そんな今日。

 

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つまらないなとおもう。Twitterのトレンドに上がる人気のハッシュタグもヤフーのトピックスもつまらなくて目が死ぬ。テレビもつまらなくて耳が死ぬ。もう7月は10日も過ぎてしまった。9日も8日も戻ってこない。つまらないことばかり考えている。

 

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どこでなにをしているのか、なにをかんがえているのか、これからどうなるのか、知らないし、この先知ることもないとおもうし、知りたいともおもわない。こんなにカラッとしてしまうのは暑さのせいなのか。賭けるようなことはしたくない。ぜんぶ夏のせいだ。

na i ta

 

新幹線はおもっていたよりも混んでいなくて、降りるとそこはおもっていたよりもずっとさむかった。停車位置のないホームで、高校3年間利用したワンマン列車を待つ。電車がホームに入ると、横からおばさんが2人、割り込んでわたしより先に電車に乗り込んだ。嫌でも覚えてしまった停車駅の順番も、もうすっかり忘れてしまっていた。短いスカートを履いた高校生を見て、「ああ、もうわたしは「この前まで高校生だった」わけではないんだな」とおもった。

 

相も変わらず空はきれいで、雲の輪郭がはっきりしている。ここでは時間がゆっくり流れる。

 

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実家のパソコンでメールを確認したら、下書きのボックスにまだ残ってた。5:52。忘れることが惜しいともおもわなかったのに、忘れてたことがかなしかった。無かったことになんてならないのに、時間はすべてを奪っていくから、ただむなしいだけだね。今はもうむなしいだけだよ。

願望の先には変わることのない過去がある

4時半までともだちと話し込んだ。考えさせられた。

 

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バスからぼーっと外を眺めていた。ここに越してきてもうすぐ1年が経つのに、ぜんぜんこの街のこと知らないんだなーっておもった。大嫌いなこの街で、わたしがここに来るずっと前から、ちゃんと生活しているひとがいた。

 

iPodからは昔よく聴いていた曲が流れていた。今はもう今ではなくなっているのに、それでも確かにわたしはここに存在していて、おもっているよりもずっと時が流れているのだということを受け入れたくないとおもった。

 

願望の先には変わることのない過去がある。

 

終点でバスを降りて、音楽を止めてイヤホンを外した。いつもと変わらない日常があった。

 

なんでこんなにかなしい気持ちになるんだろう。